一見、漫才師っぽいおじいさんですが、アフロ・アメリカン・カラーとラスタ・カラーの微妙な統合。背中には、「Million Man March, Oct 16, 1995, Wash. D.C. I was there」と書かれています。大事に取ってあった10年前の「Million Man March」のTシャツを着てきた人も多かった。
「If I was a preside~~~~nt, I'd get elected on Frida~~~~y, assasinated on Saturda~~~~y, and buried on Sunda~~~~y(もしも俺が大統領だったら、金曜日に当選して、土曜日に暗殺され、日曜日に埋葬されるだろう)」
アドリブで「... go back to work on Monda~~~~y(そんでもって、月曜日にはまた仕事に戻って)」と付け加えられていた。
彼のTシャツにはブラック・パンサーの写真と、「Homeland Security. Fighting Terrorism In the Hood Since 1966.(1966年からフッドでテロリズムと闘い続ける国家防衛)」。
彼のTシャツには、Frederick Douglassの写真と、「Stopping the Flow of African-Americans to Prison. "The soul that is within me, no man can degrade" (刑務所に送られるアフリカンアメリカンの傾向を食い止める。「私の中に存在するソウルは、誰もおとしめることはできない(by Frederick Douglass)」。この団体のウェブサイトはこちら。
こういうプラカードを掲げている人も多かった。この写真は、2005年6月6日にニューヨーク州ユティカ市警によって殺害された(と、あくまでもこのプラカードでは訴えられている)、Walter Washingtonさん。Rest In Peace...興味がある方はこちらをどうぞ。
たまたまイベント中にばったり会った友達に聞いたところ、小さい女の子が迷子になってビービー泣いているのに気づいたある人が、フルーツ・オブ・イスラムの一人に「この子、迷子らしいんですけど...」と言ったところ、「ふんっ」という感じで無視したらしい(!)。それだけではなくて、迷子の子の母親がようやくその泣きじゃくる子を見つけた時、ハグをするのでも「はぐれちゃってごめんね」となだめるでもなく、女の子の腕を無理矢理引っ張ってひきずるように連れて行ったそう。その状況を見た友達(黒人男性)は、「せっかくの素晴らしいイベントなのに、その意味もモラルも価値も何もありゃしない。We're lost people.」と落胆したそう。
一つかなりウケタのが、ネイション・オブ・イスラムのあるミニスターが、「きっとメディアは今回のイベントについて叩くだろうし、Millions More Movementではなくて、『Million Man March(これは10年前のイベント)』と名前を間違えるだろうし、ミリオンではなくて、『数十万人が集まった』と報道するだろう」と冗談で皮肉ったのだが...昨晩のニュースでは、「ワシントンDCのキャピタルで行われたMillion Man Marchには30万人が集まった」と報道されて大爆笑だった。本当は、キャピタル近辺のメトロ利用者数とバスツアーの人数を合わせて、軽く1.8ミリオン(180万人)にのぼったという話(もちろんイベントに参加しなかった観光客もいただろうけど)。メディアっておもしろい。
もちろん、Civil Rights Movementとか、あの頃のデモ運動というのは(年月はかかったものの)ものすごくパワーがあったのだと思う(先述したアンジェラ・デービスの本にもあったように)。でも私が今日のアメリカで実際に目にするデモ運動というのは、なぜか「デモ好きな(ちょっとヒッピー寄りの)(主に白人の)人たちの集まり」にしか見えないことが多かった。つまり、デモの内容や動機にあまり重心がおかれておらず、何に対しても「デモをすること」に意義がある、そういう雰囲気が伺えた。