(photo: Russell Means氏のウェブサイトより)
「Wampanoag族(アメリカ原住民のワンパノアグ族)と会ったときに、『サンクスギビングの歴史について調査しているときに、代々何世代にもわたって口承で伝えられてきたことがわかった』と彼らは言っていたよ。
ワンパノアグ族のMassasoit酋長がいわゆるピルグリム・ファーザーズ(注:1620年、メイフラワー号で北アメリカに移住したイギリス人入植者で、最初の入植地となったプリマス植民地を築いた人々)と、ほとんど言及されないピルグリム・マザーズが着岸した時、自分たちが何千年も住んで来た土地に快く迎え入れた、ということならアメリカ人のほとんどが知っているだろう。ワンパノアグ族は、食糧の採集方法や、どこでどのようにどんな農作物を栽培するか、そして収穫物をどのように乾燥して保存するかなど、この大陸で住んでいくための術をこのヨーロッパ人達に教えたんだ。
今日、ワンパノアグ族は、Massasoit酋長が死んだあとに何が起こったか、アメリカ白人達に思い出させようとしている。Massasoit酋長は、入植者達が"King Philip”と呼んだ息子のMetacometにによって受け継がれた。1675〜1676年、Massasoit酋長とワンパノアグ族が自分たちの祖父や父親達に施してくれた恩恵に”感謝”の意を表すかのごとく、ピルグリム達はワンパノアグ族の武器を取り上げるための口実を考えついた。
白人達は銃や剣や大砲や点火棒を振りかざし、ワンパノアグ族を襲った。Metacometを含むほとんどのワンパノアグ族が虐殺され、Metacometの妻と息子は西インド諸島に奴隷として売り飛ばされた。Metacometの遺体は八つ裂きにされた。
それから25年間、Metacometの頭蓋骨は槍の先に突き刺され、白人達の村に飾られた。ピルグリム・ファーザーズの本当のレガシーはこんな裏切り行為だったんだ。今日のアメリカ人のほとんどが、サンクスギビングは大収穫に感謝することだと思っているが、そうじゃない。(注:
米国大使館のサイトを参照)
1970年までに、ワンパノアグ族は植民地の統治者が発行したサンクスギビングの声明のコピーを発見し、その内容を見て恐ろしい事実が発覚した。
植民地の武装集団達が原住民の村の男、女、子供達を虐殺し帰ってきた後、植民地の統治者はこの大虐殺に感謝するための祝日と祝宴を宣言した。そして、統治者は他の植民地にも同じようにするよう提言した。言い換えれば、毎年秋の収穫時が来たら、インディアンを殺して、祝宴をあげようということだ。
プリマス植民地(現在のマサチューセッツ州南東部)で我々が会ったワンパノアグ族は、同州各地から来た人達だった。他の多くの東部民族と同じく、彼らの民族も全滅した。生存者達は、まだヨーロッパの疾病やバイオレンスに汚されていない他の民族の土地に避難した。ワンパノアグ族は身を隠したり、イルコイ連合(注:17〜18世紀北米インディアンの同盟)に参盟したり、デラウェア州のショーニーにある部族達の土地で家屋を構えたりした。また、東海岸の沿岸地域にある200部族のひとつに避難した者もいたが、これらの部族は後に根絶した。
これらの部族は今となっては名前しか残っていない。いや、名前すら残っていない部族もある。他の部族に避難できなかったワンパノアグ族の中には黒人奴隷や自由民と結婚して生き残った者もいる。子孫を抱えながら、奴隷になることを余儀なくさせられるということは想像しがたいことだが、インディアンの中にはそうせざるを得なかった部族もいるのだ。」
Russel Means氏の
“Where White Men Fear To Tread"より抜粋。